そして、月夜が深くため息をついて犬神を召喚した。
「藺藤?」
「……ここに、藺藤一族の分家の家がある。一時そこで滞在する。嵐も動かせる状況じゃ
ないからな」
 蒼白い面の嵐を視線で示すともう一匹犬神を召喚した。
「何匹ぐらいできるの?」
「力の限りだとこの大きさで十五匹が相場かな。もっとちっこいのも出せるけど?」
「それだと?」
「百とか行くんじゃないのか? やった事ねえからな」
 肩を竦めて嵐に近づき項に手刀を落とし、意識を失わせると犬神の背に嵐の体を預けさ
せた。狐の爪には瘴気がある。苦しむのであれば意識を失っていたほうが良いだろう。落
としたのはそう考えた月夜の考えだった。自然とその後ろに莉那が乗った。月夜は最初に
召喚した犬神に跨ると後ろに乗れと夕香に言い、夕香は首と胴体が分かれている狐を見た。
「供養するか?」
「ううん」
 首を横に振って月夜に体を預けた。触れ合うぬくもりが今は優しかった。月夜は犬神の
前足をそっと叩いて走らせた。しばらくすると大きな屋敷が見えてきた。
「あれが?」
「ああ。馬鹿でかいだけの屋敷だ。今は腹違いの兄貴だけが住んでいる」

 なぜ、人の子が異界に住んでいるかというと月夜の一族の分家に入っているからだそう
だ。月夜の一族の分家は代々薬師をやっているそうでそこで作られる薬は万能薬でつかお
う考える愚かな人が絶えないから異界に身を置いているそうだ。
その分家も今では月夜の兄だけだ。老いぼればかりしかいなくてもうそれらも死んだそう
だ。
「たぬ?」
「なに?」
「嵐は?」
「平気」
 落としてないよといわんばかりの声音に苦笑して前を見た。屋敷はもうすぐだ。
 そして屋敷についた。門の前には軽そうな茶色に髪を染めた着流しの青年が一人立って
いた。染められていない所は漆黒で月夜の髪の色と同じだ。だが、容貌はあまり似ていな
い。
「兄貴」
「よう、久しぶりだな。結構でかいの出せるようになったのか?」
「まあな。五日ここに居させてくれ」
「それだけか?」
 兄さんは寂しいんだよと言わんばかりの口調で言う青年に疲れたように溜め息を吐いて
月夜は簡単に経緯を説明した。それを聞いてそうかと端的に頷いて嵐を見て門を開いた。
門の向こうには灯篭や松が植えられ純和風の庭が広がっている。よく手入れされている。
 青年は嵐を肩に担いで莉那はその後ろにくっついて降り月夜はひらりと降り夕香も降り
て犬神が居なくなった。月夜が送還したのだろう。それを見て青年は微かに羨望の眼差し
を弟に向けていた。それに気付いているのかいないのか月夜はため息をついて門の中に入
っていく。
「あの」
「入りなさい。大丈夫。広い屋敷に一人で住んでいるから部屋が余ってるんだ。家自体一
種の結界だからね」
 聞きたい事はそれではなかった。夕香はそうですかと曖昧に頷いて聞きたかった疑問を
胸の奥にしまいこんだ。青年、莉那、夕香の順に入り夕香が門をしめた。玄関には月夜が
あぐらを掻いて座っていた。
「……着替えたって浴衣ぐらいしかないよな?」
「まあね、後、式服ぐらいね」
「浴衣は何着あるんだ?」
 式服という言葉を黙殺したその問いに青年は唸って唸って人数以上はあると答えた。そ
うかと月夜はいい部屋は二階で良いかと聞くと青年は頷く。適当に部屋割りを決めて嵐の
部屋に布団を敷き、浴衣に着替えさせるとその布団に寝かせた。寝かせた布団の隣には莉
那が座りずっと介抱するそうだ。月夜は湯殿に向かい汗を流して制服を脱ぎ浅葱色の式服
を纏った。
 夕香も浴衣を貸してもらい制服を脱いで浴衣に襷がけをして動きやすいようにしていた。
細く白い腕がスラリと浴衣の袂から伸びていた。
「あんま動きまわんじゃねーぞ?」
「なんで?」
「下見える」
「何でその思考に行くのよ!」
 顔を真っ赤にして夕香はいうと見事に撃沈した月夜を覗き込んだ。着物には慣れている
つもりなのだ。これでも。
「そんな変態的なことするわけないでしょ?」
「そうか、なら良い」
 肩を竦めておどけて言うと月夜は天井を見て溜め息を吐いた。深みのあるこげ茶色の木
の天井がやけに近く見えた。手を伸ばして背伸びをするがつかなくて軽く跳ねると手がか
すった。
「どうしたの?」
「いや、ガキの頃は遠かったのになって」
 天井を指しながらいうと夕香はさも面白そうに腹を抱えて笑い出した。
「んだよ?」
「いや、藺藤も子供っぽいところあるんだなってそう思っただけだよ」
 その言葉に唸ると溜め息を吐いて肩を竦めて見せた。その様子を青年が見ていた。
「昔はただのやんちゃっ子だったもんな?」
「うるせーな。こいつ等に自己紹介しなくていいのかよ?」
「してないの?」
「たりめーだ」
 自分のことは自分でしろと言っているその言葉に苦笑し肩を竦める。そしてその顔から
直って夕香を見た。
「ごめんね? 俺は昌也。こいつの異母兄で犬神を出す力がないから分家に回されている。
まあ、連中も連中だからこいつは宗家に納まるのを嫌がっているんだが、臨時的に俺が宗
家になってる。早く就けよ?」
「っせーな、こっちだって大変なんだ。叔父上とか全員吹っ飛ばしてくれれば入るけど」
「んなの無理だって」
「じゃあ、待ってろ。後二年だ」
 はあと語尾を上げて聞き返す昌也に月夜は眉をひそめた。その様子を夕香は首を傾げて
いたが、莉那が来るのをみて莉那に声をかけた。
「どうしたの? たぬ?」
「狐の瘴気に中ったらしくて狼さん熱出してて」
「解毒の薬か?」
 いきなり話に入り込んできた昌也は真剣な顔をしていた。夕香は制服のポケットの中か
ら長老に貰った貝殻を莉那に手渡した。
「天狐の瘴気の解毒薬。少しで良いと思う。即効性じゃないからあんまり飲ませないでね」
「どうもですた」
 莉那はそう言うとそそくさと二階に上がっていた。莉那の登場でその場はお開きになっ
ていた。やることもないのでとりあえず二人は部屋に戻って早めに休むことにした。



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